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東京地方裁判所 平成7年(ワ)11596号 判決

原告

呉大威

右訴訟代理人弁護士

釜井英法

被告

三洋機械商事株式会社

右代表者代表取締役

柚口豈夫

右訴訟代理人弁護士

小池通誉

主文

一  原告の解雇無効確認請求を却下する。

二  被告は、原告に対し、金一〇六四万八一二〇円及び平成九年四月から本判決確定まで毎月二五日限り一ヶ月金三一万三一八〇円の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、被告の負担とする。

五  この判決の主文第二項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し平成六年四月一六日になした解雇の意思表示が無効であることを確認する。

2  被告は、原告に対し、平成六年六月以降、毎月二五日限り、一ヶ月金三一万三一八〇円を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、外国から化学薬品等を輸入販売することを業とする株式会社である。

2  原告は、平成五年一〇月一日、被告に雇用され(以下「本件雇用契約」という。)、以来、中華人民共和国からの化学薬品輸入等に関する同行通訳及び翻訳等の業務に従事し、被告に勤務してきた。

3  被告は、原告に対し、平成六年四月一三日、書面により、「原告が経営者に対して他社員の面前で暴言を吐いて侮辱し、書類を机に叩きつけるなど粗暴な行為を行い、極めて非礼な態度をとり、何度か話し合いの機会をもったが些かも反省の態度が認められない」などとして、原告を同日付けで解雇する旨の意思表示をなし、この意思表示は、同月一六日、原告に到達した(以下「本件解雇」という。)。

4  本件解雇は、解雇理由が全くないのになされたものとして無効であり、仮に解雇理由が存在するとしても、解雇権の濫用の(ママ)に該当するものとして無効である。

5  本件解雇当時における原告の賃金は、月額三一万三一八〇円(基本給二六万、役職手当三万円、通勤手当二万三一八〇円・前月二一日から当月二〇日までの分を毎月二五日限り支払)である。

よって、原告は、被告に対し、本件雇用契約に基づき、本件解雇が無効であることの確認を求めるとともに、平成六年六月から毎月二五日限り一ヶ月金三一万三一八〇円の割合による賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1、2、3及び5の各事実は、いずれも認める。

2  請求原因4は、争う。

三  抗弁(本件解雇の合理性及び相当性)

1  被告の就業規則は、被告の従業員が「職場の秩序と平和若しくは風紀を乱す行為」をし、「その事案が重篤なとき」(四一条、四三条七号、三八条一二号)は、懲戒処分として、当該従業員を懲戒解雇することができる旨を規定している。

2(1)  平成六年三月当時、被告は、中華人民共和国の招遠志城化工原料有限公司(以下「公司」という。)との間で取引をしていたが、当時、原告は、被告と公司間のファックス連絡文の日本語から中国語又は中国語から日本語への翻訳等の業務に従事していた。

(2)  同年三月二三日ころ、被告は、公司から、「今回出荷した時に貨物引渡書(貨単・B/L)の原本二部をお送りしました。本来決算する時の銀行提出用の一部を残しておかなければならないのに、孫経理が出張中だったため、販売の他の人が初めてでよく分からず間違いをしてしまいました。当方は担保函を提出しましたので、ご協力をお願いします」との内容の中国語による同月二二日付ファックス連絡文を受信した。

原告は、右ファックス文を翻訳し、同月二三日ころ、被告に対し、「公司が誤ってB/L(船荷証券)三通全部を送付してしまい、L/C(信用状)を現金化できなくなった」との内容である旨を報告した。

その結果、被告は、公司から原告の右翻訳のとおりの内容のファックス連絡があったものと理解した。

(3)  公司との取引額は、二五〇万円である。この金額は、日本国においては比較的少額であったが、中華人民共和国においては決して少額であるとは言えない金額であり、公司及びその関係者が困惑していることが予想された。また、公司は、被告にとって今後も円滑な取引関係を持続したいと考えていた取引相手であった。

そこで、被告代表者(以下「社長」という。)は、公司との友好関係を維持すべく、公司に対し、直ちに右取引額相当の現金を送金すべきであると判断した。そして、社長は、同年三月二五日(金曜日)午前一〇時ころ、原告に対し、「L/Cを使わず別の方法で送金するから、その旨を公司にファックス連絡するよう」指示した。

(4)  社長は、右原告に対する指示をした後、同日中に被告の取引銀行である三菱銀行亀有支店に赴き、送金手続の説明を受け、必要書類を受領した。

しかし、実際には、公司は、この時点で既に、公司の取引銀行の勧めに従い、担保函(単証担保)を提出してL/Cの決済手続を完了していたため、被告から公司に対して前記取引額相当の現金を送金する必要はなかった。

(5)  原告は、公司からの三月二二日付ファックス文にある「担保函」との記載の意味が分からなかったので、同月二五日、公司に対し、「保証書」(担保函)が何を保証する趣旨であるかを問い合わせると同時に「L/C(信用証)はもう失効になりました。それで三菱銀行にL/C(信用証)のキャンセルの通知をいたしました」との内容のファックス送信をした。

(6)  被告は、同月二七日ころ、公司から、「当社はすでに手続きが間違ったのを知り、三月二二日貴社へのファックスで状況を説明しました。また煙台中行(中国銀行)とすべての手続きをしておきました。煙台中行と手続きをした時に、当社は、B/Lを全部貴社に送ったということを説明しました。ですから当社に保証書を提出させました(証票保証)。協力して手続きをしていただくようお願いします。もし、貴社が信用状を取り消さない限り、証票は平常通り有効です。」との内容の中国語による同月二七日付ファックス連絡を受信した。

(7)  原告は、同年三月二八日(月曜日)、被告の専務取締役立原都(以下「専務」という。)に対し、右ファックス文を翻訳し、「L/Cを取り消さない限り、生きている」との内容である旨を報告した。

(8)  右報告を受けた専務は、原告から報告を受けたとおりの内容のファックス連絡があったものと理解したが、その意味するところが明確でなかったため、原告に対し、公司への問い合わせを指示した。

(9)  社長は、同月二八日午後一時ころ、被告会社事務室において、専務に対し、同年三月二五日の経過を説明した。

それを聞き合わせた原告は、社長に対し、「L/Cは、まだ取り消していないのですか」と質問したので、社長は、原告に対し、「これからだ」と答えた。

(10)  すると、原告は、突然気色ばんで、「社長がL/C取消しに行くからファックス打てと指示したので、私は中国に知らせたのです。なぜ銀行に取消を指示しないのですか。」と迫った。

(11)  専務は、原告に対し、「これから銀行に行く話をしているのだからそんな指示を出したはずはないでしょう。たとえ金曜日(平成七年三月二五日)に指示をしても、銀行の手続は、本店に行き、国際部に行き、中国銀行の国際部からやっと向こうの支店に行くのだからとても時間がかかるのです。もしその場で手続しようと言ったとしても、手続したかどうかも、手続ができたかどうかも銀行の内部でないと分からない」と説明した。

(12)  原告は、専務の説明に対して全く聞く耳を持たず、ただ「なぜ銀行に取消指示をしなかったのか」と固執して反抗的な態度に終始し、社長及び専務と激しい口論になったが、被告の松尾部長が原告をなだめて、この言い争いは終った。

(13)  社長は、同日、三菱銀行亀有支店に出向き、L/C取消の手続をした。しかし、L/Cの取消は相手方の同意がなければできないことから、同銀行の担当者は、公司に対し、L/Cの取消に同意をするかどうかを問い合わせる手続きをした。

(14)  被告は、同月二八日に原告から報告を受け、問い合わせをするように指示をして以来、原告が被告の指示通りに問い合わせをしたものと誤信し、公司からの返事を待っていたが、公司から何らの返答もなかったため、同月三一日、公司に対して、前記取引代金相当額を現金送金し、また、原告に対し、公司に対して現金送金をした旨をファックス送信するように指示した。

(15)  原告は、同日、公司に対し、現金送金をした旨のファックスを送信したが同ファックス文には、「三月二七日のファックスが届きました。ファックスに『L/Cを取り消さなければ単証は通常通り有効である』とあります。このことは何をさしているのですか。具体的に教えてください。」との記載があった。

(16)  同年四月六日、被告は、公司から、「現金送金を受領した。中国銀行招遠支店の支持によりL/C取消の手続書にサインをした。L/C決済金は受領後に返金する。」旨の内容のファックスを受信したが、社長及び専務は、この事実を全く知らなかった。

(17)  同日、被告は、三菱銀行から、「同年三月二九日にニューヨークで銀行間決済がなされB/LがないままL/Cが割引きされてしまった」旨の連絡を受け、結果的に、公司への代金が二重払いになっていることを知った。

そこで、被告は、同日、原告に対し、二重払いになったので二重払いの代金を被告の中国銀行の口座に振り込んで返金してもらいたいと公司にファックス連絡するよう指示した。

(18)  同年四月七日、原告は、専務に対して、三菱銀行からの連絡は信用できないと言い出した。

そこで、専務は、原告に対し、「資本主義社会では、企業として存続・発展するためには、銀行の信用が不可欠であること、被告の主要取引銀行は三菱銀行で、その信用によりL/Cを発行し、会社の営業も継続していること、相手を傷つけるようなことを軽々に口にすべきでないこと」等の趣旨を説明した。

(19)  ところが、原告は、専務の説明に耳を貸そうともせず、「銀行がそういうのはおかしいよ」「キャンセル料をとってキャンセルしたって言ったくせに」等と大声で専務に反抗した。

また、同日、原告は、三菱銀亀(ママ)有支店の担当者と電話をしている中で、専務の制止を振り切って、「中国の銀行は中国の会社を守ってL/Cを割り引いたというのなら、お宅はキャンセル代を稼いだ上に日本の会社を守らない。また連絡するなら手数料がかかるなんて手数料稼ぎばかりしている」と罵倒する有様だった。

(20)  原告の右のような態度に接して、三菱銀行亀有支店の担当者は、原告に代わって電話口に出た専務に対し、「一体貴社はどのような社員教育をしているのか。この件で銀行が彼に怒鳴られる筋合いは全くない」と厳しく抗議した。

(21)  原告は、その後も、右のような二重払いが起きてしまった原因について、「中国側が悪いのではない。銀行が悪い。」との見解を固執し続けた。

(22)  同年四月一一日午前九時過ぎころ、被告会社事務室において、社長、専務、松尾部長及び原告の四名で会議が持たれた。その席上、専務は、右二重払事故の報告及び総括的な問題提起をした。

(23)  すると、原告は、「私は、社長のように言ったことを言わないとは言わない」と怒号した。そこで、専務が「その言葉は、まるで社長が嘘つきだというのと同じだ」と注意し、松尾専務(ママ)も「君の言葉は、まるで社長が嘘つきだと言っていることになる。日本語は単語でなく流れだよ」と諭したところ、原告は、興奮して喚きながら立ち上がり、手元の分厚い名刺帖を力任せに机に叩きつけ、その後も、社長及び専務を大声で面罵し続けた。

全く取りつく島もない原告の状態に接して、社長及び専務は、やむなくその場を立ち去った。

(24)  同日昼休みころ、松尾部長は、原告に対し、原告が従業員としてあるまじき非礼の態度をとったことを謝るように注意した。

右の注意を受けて、原告は、社長のところへ赴き、一応言葉の上で謝ったが、それは、事態を正確に理解・把握し反省しているとは到底思えないような態度であった。

(25)  そこで、被告は、原告の同日の会議における言動を重視し、とりあえず反省の機会を与えるという目的で、原告を一〇日間の自宅謹慎処分に付し、この謹慎期間中の原告の反省の程度・態度の変化等を勘案して原告に対する最終的処分を決めることを決定した。

(26)  同年四月一二日、被告は、原告に対し、一〇日間の自宅謹慎処分に付することを告知した。

(27)  これに対し、原告が自宅謹慎処分期間中の給与の有無を質問したので、被告が無給である旨を答えると、原告は、「それは困る。給料を出してください。」と怒号し、机を手で叩き始めたので、この話し合いは打ち切られた。

(28)  同日午後、専務の夫であり原告の入社に際して原告を被告に紹介した訴外立原典文が被告を訪れ、自宅謹慎処分を受け入れずに出社していた原告に対し、約三時間にわたり、被告とは異なる紹介者としての立場から説得を試みた。

(29)  疎外立原典文の原告に対する説得の要点は、「今問題なのは誰がどう言ったこう言つたということではない。白だ黒だが問われているわけではない。人を攻撃する前に自分の態度は良かったか、勘違いはなかったか、謙虚に反省する柔軟さがないのが問題なのだ」ということであった。

しかし、原告は、「判りました」と応答はしたものの、「白は白です」とか「会社の罠」だとか反論する有様であった。

(30)  同月一三日、原告が出勤してきたので、社長、専務及び松尾部長は、原告に対し、被告の命令のとおりに自宅待機するように説得を試みた。しかし、原告は、「ご免なさい」と言いながらも「だけど…」と、大声でいつもと同じ趣旨の発言を始め、興奮して机を叩き、体を前に乗り出して怒号を続けたので、松尾部長が原告を押しとどめた。

(31)  この段階で、社長及び専務は、もはや原告と理性的に話し合うことが困難であると判断し、本件解雇に踏み切ったのである。

3  原告の右一連の行為は、被告就業規則所定の懲戒事由である「職場の秩序と平和若しくは風紀を乱す行為」に該当する。また、本件解雇は、原告の右行為に対する懲戒処分として相当である。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1の事実は、認める。

2(1)  抗弁2(1)の事実は、認める。

(2)  抗弁2(2)の事実は、認める。

(3)  抗弁2(3)の事実は、認める。

(原告の主張)

原告は、社長からファックス連絡をするように指示を受けた際、「これからL/Cを取消しに行く」旨の説明を受け、社長が直ちにL/Cの取消手続をするものと理解した。

(被告の答弁)

否認する。

(4)  抗弁2(4)の事実は、知らない。

(5)  抗弁2(5)の事実は、認める。

(6)  抗弁2(6)の事実は、認める。

(7)  抗弁2(7)の事実のうち、報告日は否認し、その余は認める。

(原告の主張)

原告がファックス文を翻訳して専務に報告したのは、三月二九日(火曜日)以降である。

(8)  抗弁2(8)の事実は、否認する。

(9)  抗弁2(9)の事実は、認める。

(10)  抗弁2(10)の事実は、否認する。

(原告の主張)

原告が社長に対して述べた内容は、「金曜日、社長が『これからL/Cを取り消しに行くから、早く中国に知らせてくれ』と言ったので、私はすぐにファックスで中国側にL/Cを取り消すことを知らせたのです。」というものであった。

(11)  抗弁2(11)の事実は、否認する。

(12)  抗弁2(12)の事実のうち、松尾部長の発言があった後、言い争いが終わったことは認め、その余は否認する。

(原告の主張)

社長がファックス指示をしたかどうかについて言い争いになったのであり、松尾部長が社長からその旨の指示があったことを証明してくれたので、その言い争いが一応終ったのである。

(13)  抗弁2(13)の事実は、知らない。

(14)  抗弁2(14)の事実のうち、被告が公司に対して現金送金したこと、その旨のファックス送信をするように指示があったことは認め、その余は否認する。

(15)  抗弁2(15)の事実は、認める。

(16)  抗弁2(16)の事実は、認める。

(17)  抗弁2(17)の事実は、認める。

(18)  抗弁2(18)の事実は、認める。

(19)  抗弁2(19)の事実のうち、原告が専務に対して「銀行がそういうのはおかしいよ」と言ったことは認め、その余は否認する。

(20)  抗弁2(20)の事実のうち、原告が三菱銀行の担当者と電話で会話をしたことは認め、その余は否認する。

(21)  抗弁2(21)の事実は、否認する。

(22)  抗弁2(22)の事実のうち、専務、松尾部長及び原告の三名で会議が持たれたことは認め、その余は否認する。

(23)  抗弁2(23)の事実のうち、原告が名刺帖で机を一回叩いたことは認め、その余は否認する。

(24)  抗弁2(24)の事実のうち、松尾部長が原告に対して謝るように注意したこと、原告が社長に対して謝ったことは認め、その余は否認する。

(25)  抗弁2(25)の事実は、知らない。

(26)  抗弁2(26)の事実は、認める。

(27)  抗弁2(27)の事実は、否認する。

(原告の主張)

原告は、四月一二日朝、社長に呼ばれて、社長室まで出向き、昨日までのことにつき謝罪と反省の意を表明した。ところが、社長は、原告に対し、用意してあった同日付けの解雇通知書を見せ、「君は初犯ですから、一〇日間の猶予期間をやる。命令として一〇日間出勤停止し、この間反省しなさい。反省と改善の文を提出してから、その態度に応じて処分する。」と言った。これに対し、原告は、「解雇理由がないから反省しようがない。出勤しないと給料が減るから困ります」と答え、被告の就業規則の交付を求めたが、就業規則をもらうことはできなかった。

(28)  抗弁2(28)の事実は、認める。

(29)  抗弁2(29)の事実は、否認する。

(30)  抗弁2(30)の事実のうち、原告が出勤し謝罪したことは認め、その余は否認する。

(31)  抗弁2(31)の事実は、否認する。

3  抗弁3は、争う。

第三証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  被告が原告に対し「原告が経営者に対して他社員の面前で暴言を吐いて侮辱し、書類を机に叩きつけるなど粗暴な行為を行い、極めて非礼な態度をとり、何度か話し合いの機会をもったが些かも反省の態度が認められない」との理由により、被告就業規則所定の懲戒事由があるとして本件解雇をなしたこと、被告就業規則中には、被告従業員に「職場の秩序と平和若しくは風紀を乱す行為」があったときは、当該従業員を懲戒処分に付すことができ、この懲戒処分には解雇も含まれることについては、いずれも当事者間に争いがない。そして、原告が被告代表者及び専務らの言動(とりわけ二重払いが発生した経緯及びその前後の対処などに関する認識の相違)に立腹して自分の机に名詞入れを叩きつけ、暴言を吐くなどの行動があり、その後も自分の非を全面的には肯定していないことは、(人証略)の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨により明らかである。したがって、本件の最も主要な争点は、原告の右言動が被告就業規則の予定する懲戒解雇事由に該当するか否かである。

二  そこで判断するに、弁論の全趣旨によれば、被告は、中国企業である公司との間で大きな貿易取引を行う会社であるとはいえ、企業規模としては比較的小さな企業に属するものであることが認められるから、被告就業規則の解釈にあたっても、被告組織内における人間関係を円満に保つ必要性という要素が他の大規模な企業と比較してやや重視されるべきであるということは可能であるが、懲戒解雇という処分が企業内の秩序罰の中でも最も重い処分であることは言うまでもなく、しかも、従業員の労働者たる地位を奪うものであって、当該労働者の生活に対する影響も極めて大きなものであることから、懲戒処分の相当性の判断においては、慎重な配慮が要求されてしかるべきである。

しかるところ、本件のそもそもの発端は、原告のファックス翻訳の不完全と社長の言動のあいまいさの両方にあったものと思われる。すなわち、前記各証拠によれば、三月二五日の時点において、原告は、公司から受信したファックス文に「担保函」との文言があったのに、その文言の意味するところを十分に吟味しないで翻訳し、社長に報告したこと、この報告を受けて、社長は、取引経済上のトラブルを避けるため、L/Cの取消が必要になったと判断したこと、社長としては取引銀行に出向いてL/Cによる決済の取消の手続きに入るための取引銀行との交渉をするという趣旨で述べたであろう言動が、原告にとっては、直ちにL/Cの取消手続きに入ることを意味するものとの認識をもたらし、この認識の相違がそれ以降の原告と被告との認識の相違と本件紛争の出発点になったものと推認できる。

しかしながら、原告は、特に海外取引に関する専門教育を受けた者ではなく、他方、専務も原告の助力を得れば中国語を十分に咀嚼・理解するだけの高度の知識・経験を有していたものと推定されること、被告のような小規模会社にあっては、海外取引における重大な決定は、最終的には被告経営者らの判断と責任においてなすべきものであり、その判断のための資料が不十分であれば、原告に対してさらに問いただし、場合によって、国際電話を用いて直接公司と連絡を取るなどして、事実関係等を慎重に確認することが可能であったし、そうすべきであったと思われることからすると、右のような翻訳の不十分の責めをすべて原告に負わせることは酷である。また、社長の言動に関する被告と原告との認識の齟齬に関しても、事柄が海外商業取引上の専門知識を要求するものである以上、これについて専門家であるとはいえない原告を一方的に責めることはできず、双方とも同等に非があるものと判断する。

本件紛争の発端につき、右のように理解することを前提にすると、その後の経緯についても、原告に一方的に非があるということはできず、しかも、中国人である原告の国民性等も勘案すると、通常の日本人のようにはっきりさせるべきことも曖昧にし、なあなあで済ますというようなことは比較的期待できず、そのことは、中国人である原告を雇用した時点で、被告も承知していたはずである。ゆえに、その後における原告と社長及び専務らとの間の言い争いなども、原告に一方的に非のあるものと判断することはできない。

してみると、原告が名刺入れで机を叩くなどをした行為は、右のような判断を前提にする限り、形式的には被告の社内秩序を乱す行為に一応該当するものということが可能ではあるが、その行為に対する非難の程度は、そう大きなものであってはならないことになる。

したがって、右原告の行為が懲戒事由に該当するとしても、その行為に対する懲戒処分は、比較的軽いものでなければならない。

三  ところで、就業規則(〈証拠略〉)によれば、被告就業規則上、懲戒処分の種類としては、解雇のほか、訓戒、減給、出勤停止を定めており(四一条)、被告は、懲戒解雇処分よりも軽い懲戒処分を選択することが可能であったことが認められるのであるから、仮に原告に対して懲戒処分をするにしても、本件解雇ではなく、より軽い処分が選択可能であったと認められる。このほか、本件全証拠に照らしても、本件解雇が原告に対する懲戒処分としての相当性を有することを是認するに足りる証拠があると判断することはできない。

してみると、本件解雇は、原告の右言動及び被告が懲戒事由として主張する懲戒事由に照らし著しく重いものとして相当性を欠き、無効である。

四  そこで進んで判断すると、原告の賃金額、計算期間及び支払日については当事者間に争いがないから、平成六年六月二五日支払分から平成九年三月二五日支払分(同年三月二〇日までの賃金)までの未払賃金請求は、すべて理由がある。

なお、平成九年四月二五日支払分(同年三月二一日から同年四月二〇日までの賃金)以降の将来請求に関しては、本判決確定までの間に限り、その必要性があるものと認められるが、その余は、必要性がないものとして失当である。

また、本件解雇の無効確認請求については、右のとおりに本件解雇が無効であって、原告が被告の従業員たる地位を有することを前提に賃金請求を認容する以上、その確認の利益がなく、不適法である。

五  以上のとおりであり、原告の本件各請求のうち、解雇無効確認請求を却下し、本件口頭弁論終結時までの未払賃金請求及び本判決確定までの将来賃金請求については認容すべきであるが、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、八九条を仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日・平成九年三月二五日)

(裁判官 夏井高人)

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